マイクロマネジメント再考
経営者や管理職のマネジメントスタイルを表す言葉に、マイクロマネジメントという言葉がある。
あまり、Positiveな表現ではなく、その上司が細かいところまで口を挟んでくるとか、気が小さくて権限委譲できずに、すべてを自ら確認したがるというニュアンスがあるように思う。
一方、反対語としてはマクロマネジメントというらしい。親分肌で、細かなことは気にかけずに、部下に任せるタイプのことであろうか。ミドルマネジメントがしっかりと機能している日本企業では、ある程度高いポジションに就くと、細かなことを言う上司は嫌われる傾向があり、マクロマネジメントができる上司を高く評価される傾向があるように感じる。
ということは、マイクロマネジメントかどうかの判断は、きわめて主観的なものであり、上司と部下の個人的な関係によっても、評価が変わるように感じる。
さて、本稿のテーマは、「マイクロマネジメント再考」とさせていただいた。
マイクロマネジメントが悪く、マクロマネジメントが優れているというような一面的な話ではなく、経営が適切に機能していることが目的であることは明らかである。
企業の存続をかけた一大事業の進捗状況の管理や、事業計画の適否をモニタリングするのは、どんな経営者でもある程度はマイクロマネジメントのウエイトが高まるのではなかろうか?
同様に、事業再建を行う際のターンアラウンドマネージャーは、資金繰りを見ながら、個別取引の判断まで入らざるを得ない状況も十分に想定される。
要は、個人のパーソナリティやビヘイビアに依拠したマイクロマネジメントかどうかの判断ではなく、その事業遂行上、必要な粒度で、かつ適切なタイミングで現場と上司が共有するべきポイントが存在するように思う。
そこが経営の舵取りのキーポイントであり、そのポイントにKPI(Key Performance Indicator)を定義して、PDCAサイクルをまわすことが求められている。
同じ事業でも、経営危機に瀕している状況を脱して、自社組織で展開、発展できるようになると必要とされるKPIは変わって当然であろうし、その際の上司の関与度合いの必要性も変わってくる。
マイクロマネジメントをすると、ある種安心感を上司が持てるかもしれないが、時間がどれだけあっても足りないであろう。
Fine Tuned Managementというか、適切な粒度、頻度での経営管理が、CFOを含め、部下組織をもつマネージャーには求められ、見直し続けていく必要があると思われる。